まずはJR鶴見線、国道駅です。昭和5年に私鉄の鶴見臨港鉄道の駅として開業して以来、大きな改修を受けずに残ってきた感じですね。ホームのカーブや屋根のアングルが何ともいえずいい感じ。鶴見線に乗ったのはおそらく20年以上前、今回気付いたのは列車が30分毎になっていること。前は20分毎だったような。
国道駅といえば、高架下の商店街ですよね。ここだけ時間が止まったような雰囲気が漂っています。夜は営業していそうな飲み屋や釣り船の事務所?なんかもあります。無人駅で、改札にはスイカのタッチ装置だけが置いてあります。
左側は高架下を抜けた旧国道の写真です。けっこう人通りもあって下町な感じです。ただ、相当高齢化しているように見受けられました・・・。右側が有名な米軍機の弾痕。高架上の列車を狙ったのでしょうか。おそらく12.7mmのM2でしょうから、鉄道車両の外板なんて簡単に抜けてくるはず。
取って返して鶴見線から横浜駅を経由して、横須賀線の田浦駅まで移動します。三浦方面はたいてい京急を利用するので横須賀線も相当久しぶりです。このホームの屋根は戦時中に組まれたものだそうです。レールだったり木材だったり、ありあわせの材料をかき集めた感じですね。列車が出てしまうと駅周辺はシンと静まり返ってしまいました。
田浦駅は前後を山に挟まれていて、ホームが短いので11両の列車ははみ出してしまいます。最近は逗子〜久里浜間の4両の区間列車が多くなったようですが、今回は長い11両だったのではみ出す様子を見ることができました(笑) また、横須賀側の左手を見ると、港に通じる専用線のトンネルも見えていて、架線柱が続いています。途中まで電化されていたんですね。
さっそく倉庫群が見えます。この地域には、旧日本海軍の軍需部が使用していた倉庫の多くが残されていまして、今回はそれを見るのが目的です。これらの倉庫群は海上自衛隊に引き継がれたものと、民間企業の相模運輸倉庫が使用しているものがあるようです。細かい解説は他サイトさんで多数調べられますので、今回は簡単に現況を乗せてみたいと思います。サボりですみません(笑) なお、これらの施設や道路は港湾用地であったり、企業用地であったり、防衛施設だったりします。あちこちに「関係者以外立ち入り禁止」の立て札が立っていますし、防衛施設は構内撮影禁止と表示されているものもありました。訪問の際は十分留意してください。左のE倉庫は兵器類の修理工場、右のF倉庫は第三水雷庫、魚雷や爆雷を保管していたそうです。現在はあまり使用されていない雰囲気でした。
専用線の線路はだいぶ撤去が進んでいるようですが、それでも雰囲気をしのぶには十分でした。左の奥へ進むと現役の海上自衛隊施設、艦船補給処に突き当たります。G倉庫は第三電機庫、レーダーなどが保管されていたのでしょうか。右のように煉瓦がきれいにされている倉庫もありました。
少しずつ埋められながらも海上保安庁の庁舎前に線路が残されています。
左は吾妻川という小川を渡る橋があったところです。以前は鉄橋が残されていたようですが、現在は橋台のみになっています。右は、田浦駅から来た線路と港内に張り巡らされた線路が平面交差している個所の写真です。写真右手が田浦駅で、そのまま岸壁方向に向かう場合は左手に、海自の補給処方面に向かう場合はいったん写真奥に入り、スイッチバックして手前にやってくる配線だったようです。また、ネット上ではここに踏切警報機の写真もありますが、撤去されたようで見当たりませんでした。
左は田浦駅から岸壁方面に向かう線、右はさきほどスイッチバックしていたと述べた先で比与宇トンネルとなっています。以前はトンネル内にも線路が残っていたようですが、現在はきれいに整備されています。
トンネル内には待避所を埋めた跡があります。あるいは地下壕の入口だったのでしょうか。周辺の山には多くのトンネルが掘られ、物資の収納に使用されていたそうです。トンネルを抜けて少し行くと横浜ベイスターズのグラウンドがあり、その先に横須賀港が見えます。多くの艦船が停泊していました。
左にはちょっと切れてますが、大発風の補助艦艇が見えます。そして、ずっと奥を見てみると、スケール感の違う船が見えます・・・。米空母、ロナルドレーガンが停泊していました。ちなみに、その辺りには空母信濃を建造していた大和型用の6号ドックもあるようです。現在は米空母が使用している現役の施設だとか。
これで田浦周辺の見物は終わりです。こんなホラーゲームに出てきそうな倉庫もありました(笑) ひとまず田浦駅に戻り、横須賀線で1駅、横須賀駅で降りて京急の汐入駅に移動、そこから三浦海岸駅まで行きます。田浦梅林や軍港めぐりのクルーズも心ひかれましたが、ここは我慢して先へ進みます。最後は、三浦市の劔崎周辺に残された砲台跡を見に行きます。
三浦海岸駅からは、松輪までバスで移動します。劔崎行きか劔崎経由三崎東岡行きを利用します。概ね30分に1本走っていました。バス停を降りたら、三浦海岸駅方向にあるコンビニ、ヤマザキデイリーのあるところから海方向、写真右手に歩いていきます。ちなみに、この砲台跡はグーグルアースでも円形の物体として見ることが可能です。訪問される方はそれを見ながら行くと簡単だと思います。
大根畑が広がる台地をずんずん歩いていきます。天気が良いので本当に気持ちが良かったです。そして、道はどんどん細くなり、ついに軽トラ専用な感じに!ここは車よりバスでの訪問をおすすめします(笑) どうしても車で来たい場合は劔崎の駐車場から歩いてくる必要があります。路駐はダメですよ。
まずは南側の砲座にたどり着きました。途中、いくつかの枝分かれの道がありましたが、何となく前進して到着です(笑) この砲台には、東京湾上に築かれ、関東大震災で損壊した第二海堡で使用されていた15cm連装カノン砲の砲塔が設置されていたとのことです。大正年間の完成で、三浦半島周辺にいくつか残されている敗戦直前の本土決戦用施設ではないですね。思ったよりコンパクトだと感じました。右は通気口の残骸だそうです。砲台の傍ら、道に面して残っていました。金具がついているので、本当は雨水が入り込まないよう天蓋があったようですね。
続いて北側に移動します。すると赤丸のようなコンクリの物体が見えてきました。右側の〇が砲台、左側の〇が砲台内部への入口だったようです。
海を入れて写真を撮りたかったので、自分の影が映るのも構わず撮影します。こちらも傍らに通気口の残骸がありました。
入口は土で埋まっています。砲台の下部は全部破壊されたのでしょうか?頑丈にできているでしょうし、埋められただけで原型をとどめているのでしょうか?
さらに、北側の探照灯庫を目指します。よく位置関係を調べていかなかったので、最初は逆に行ってしまいました。ここは一見小山に見えますが、正面に回るとコンクリの施設が見えてきます。
庫内は土で埋まっています。探照灯の使用時はどういった操作手順だったのでしょうか。開口部は陸側なので、このままだと海側を照らすことはできません。ここからは東京湾が一望できます。天気が良かったのでホント気持ちのよいウオーキングでした。
その後はバスで三崎港に移動し、閉店間際のうらりを見たり、港をぶらついたりして三崎口駅から帰宅となりました。
豆知識?ですが、三崎港から駅方面へのバスに乗ると往々にして混雑で座れないことがあります。三崎港から三崎口駅方面へ坂道を登っていくと、10分ほどで三崎東岡のバス停と右手に折り返し場が見えてきます。ここは京急バスの営業所が近くにあり、三崎口や横須賀方面への始発のバスもあります。ですので、着席率を高めたい場合はここまで移動すると良いかもしれません。
ラベル:戦跡